2026年9月5日土曜日

美人を描くことはありなのか

 僕はこれまで、たくさんの絵を描いてきました。

振り返ってみると、描いているのはほとんど美人ばかりです。

なぜそうなるのか。

理由はとても単純で、僕が美人を描くのが好きだからです。

ゲームを選ぶときも、僕は少し似た感覚があります。

ゲームの内容やジャンルももちろん重要ですが、僕の場合、主人公が可愛い女性かどうかをかなり重視します。

RPGでもアクションゲームでも、それぞれストーリーや世界観、グラフィックは違います。

しかし、大きく見れば、アクションゲームならジャンプしたり、敵を倒したりする。RPGならレベルを上げたり、物語を進めたりする。

基本的な部分は似ているゲームも多いと思います。

そんな中で僕が特に重要だと感じるのは、誰を操作するのかということです。

どうせゲームを遊ぶなら、可愛い女性を主人公として遊びたい。

キャラクタークリエイトができるゲームなら、自分好みの女性キャラクターを作りたいと思います。

そして、これは絵を描くことにも同じように当てはまります。

どうせ時間をかけて絵を描くなら、自分が見たいものを描きたい。

僕の場合、それが美人の女性です。

「美術において美人を描くことはどうなのか?」

そう思う人もいるかもしれません。

美人を描くことは芸術ではない。

美しい女性を描くのは安易だ。

もっと別のものを描くべきだ。

そんな考え方を持っている人もいるかもしれません。

でも、正直なところ、僕にはあまり関係ありません。

たとえ美術の世界に「こういうものがアートだ」という考え方があったとしても、僕自身が描きたいと思うものは変わりません。

僕は美人を描きたい。

それだけです。

もし僕が絵を買う側だったとしても、やはり美人が描かれた絵を選ぶと思います。

つまり、自分が描く側でも、買う側でも、僕は同じものを選ぶということです。

僕自身が美人の絵を好きだから描く。

そして、おそらく僕の絵を買ってくれる人も、同じように美人の絵が好きだから買ってくれる。

そう考えると、今の自分の方向性は間違っていないと思っています。

美人を描くことが邪道なのか、正統なのか。

芸術的に正しいのか、間違っているのか。

そんなことは、僕にとってはそれほど重要ではありません。

自分が好きなものを描く。

自分が欲しいと思う絵を描く。

そして、それを好きだと思ってくれる人に届ける。

僕はこれからも、美人を描き続けたいと思っています。

2026年8月31日月曜日

無難なものより、少し尖ったものが好き

世の中の商品には、大きく分けると「無難なもの」と「ちょっと変わったもの」があると思います。

無難な商品は、多くの人が使いやすいように作られていて、評価も安定しています。一方で、少し変わった商品には癖があり、どうしても賛否が分かれます。

例えばスマートフォンです。

基本的には、どのメーカーのものも縦長の画面を中心とした似たような形をしています。でも最近では、折りたたみスマートフォンのような、少し変わった製品も出てきました。

もちろん、普通のスマートフォンよりも厚かったり、価格が高かったりと、何らかの癖があります。それでも「普通とは違う」というところに魅力を感じる人もいます。

僕は、どちらかというと、そういう「ちょっと変わったもの」が好きな方なのかもしれません。

これは絵についても同じです。

普通の絵なら、誰が見ても「女性が描かれている」「花が描かれている」「風景が描かれている」と、ある程度は内容を理解できます。

一方、現代アートになると、何を表現しているのかわかりにくい作品もあります。

もちろん、現代アートだから変わっていればいいというわけではありません。でも、現代アートには「普通とは違うこと」に価値を見出す傾向があります。

ただ、変わりすぎると、今度は見る側がついていけなくなります。

「これは一体何なのか?」

「何を表現しているのか?」

「そもそも、作者自身は何を描いているのかわかっているのだろうか?」

そんなことを考えてしまう作品もあります。

作者自身が何を表現しているのかわからないのであれば、見る側にはもっとわからないですよね。

だから僕は、尖ったものは面白いと思う一方で、尖りすぎると難しくなるとも思っています。

そして、ここで少し自分でも不思議に思うことがあります。

僕は以前から、「みんなが評価しないものに興味を持つことがある」と話してきました。

例えば、世間で「この製品は使いにくい」「これはダメな商品だ」と悪い評価を受けているものがあったとしても、なぜか僕は気になってしまう。

もちろん、実際に使ってみて自分にも合わないことはあります。

でも、世間で評価されていないものを見ると、

「なぜ、みんなはこれを嫌うんだろう?」

と、逆に興味が湧いてくることがあります。

2026年8月30日日曜日

夢を追いかけるのはありか?!

「絵を描くことを仕事にしたい」と思った人がいたとして、それが本当に叶うのか。今回はそんなことを少し考えてみたいと思います。

僕は昔から「夢は絶対に叶う」といった言葉が、あまり好きではありませんでした。若い頃には夢を持っていた時期もあったと思います。でも年齢を重ね、現実に何度も打ちのめされてくると、努力すれば夢が必ず叶う、というほど単純なものではないと感じるようになりました。

だから僕自身は、「夢を追いかけてきた」という感覚はあまりありません。

その時々で、自分にできることをやってきただけです。3DCGをやったり、Web制作をやったり、ゲームを作ったり。その中に絵を描くこともありました。

15年ほど前には、現代アートに強く興味を持つようになりました。それ以前から絵は描いていましたが、特に明確な方向性があったわけではありません。

きっかけの一つは、身近にパースやCGを描いている人がいたことでした。その人の作品に影響を受け、自分もCGをやるようになった。その人自身も、今考えると現代アートのような抽象的な作品を描いていました。当時の僕には、正直「何を描いているんだろう」と思うような作品でした。

その後、自分自身が現代アートに興味を持ち、いろいろ見たり考えたりするうちに、少しずつそちらの方向へ進んでいきました。

振り返ってみると、僕は夢を追いかけてきたというより、その時にできること、興味を持ったことを続けてきたのだと思います。

そして、その積み重ねの先に、今の自分の創作や絵がある。

だから、気がついたらここまで来ていたというほうが、自分にはしっくりきます。

2026年8月25日火曜日

最近、公式サイトを少しずつ更新している。

昔販売してたNFTアートの作品
昔販売してたNFTアート

 最近、公式サイトを少しずつ更新している。

といっても、最近は大きな変更ではなく、本当に細かい部分ばかりだ。普通にサイトを見ている人なら、おそらく気がつかないような部分を調整している。

たとえば、ほんの少し色が気になった部分を修正したり、間違えて未完成の作品を掲載していたことに気づいて差し替えたり。細かい部分を何度も見直していると、「こんなことをして意味があるのかな」と思うこともある。

それでも、少しずつサイトの完成度は上がっていると思う。

このサイトはトップページ1ページだけのシンプルなサイトだけど、今の自分がやっていることは、ほぼすべてこの中に入っている。作品や活動を見てもらえれば、今の自分が何をやっているのかがわかるようなサイトになってきた。

ただ、細かい部分ばかり調整していると、意外と疲れる。作業自体は面白いんだけど、ずっと画面を見ながら細部を気にしていると、やっぱり疲れてくる。

だから最近は、毎日少しずつ、休みながら更新している。

最近の変更だけを見ると、ほとんど変わっていないように見えるかもしれない。でも、1か月前の状態と比べると、作品も増えたし、サイト全体もかなり変わったと思う。

そんな感じで、今日もちょこちょこと公式サイトを更新しています。


アート業界の闇について思うこと

 最近、アート業界では「新人の画家が育たない」と言われることがある。もちろん、それにはさまざまな理由があると思うが、僕は業界の中にある暗黙のルールや固定観念も、その一因ではないかと思っている。

「こういう作品はダメ」「そんなやり方は認められない」「こうするべきだ」といった、昔から続く価値観がある。もちろん、経験者からのアドバイスがすべて悪いわけではない。しかし、それが強すぎると、新人は自由に作品を作れなくなってしまう。

先日も、ある有名な画家の発言に対して賛否両論が起きていた。具体的な内容はここでは触れないが、こうした「こうあるべき」という発言を、影響力のある人が繰り返すことで、新しい才能の芽を潰してしまうこともあるのではないだろうか。

極端に言えば、大物になった人にとって、新人が成長すれば将来のライバルになる。しかし、その大物自身も、若い頃はきっと自由に好きなことをやってきたはずだ。それなのに立場が変わると、今度は新人にルールを押し付ける側になってしまう。

これはアート業界だけの話ではなく、音楽など他の業界にもあるように思う。

本来、アートはもっと自由でいいはずだ。もちろん何をしてもいいというわけではないが、少なくとも「昔からこうだから」という理由だけで、新しい表現を否定する必要はない。

新人が育たないのではなく、もしかすると育つ前に、周囲の価値観によって自由な芽を摘まれているのかもしれない。

僕は、そんな業界の構造が少し気になっている。

2026年8月24日月曜日

最近、ある画家の作品を見て「この人はすごいな」と思った。

その人は画家として活動しながらYouTubeもやっていて、自分の絵画教室で生徒に教えている。以前からYouTubeがおすすめに出てきたので、たまに動画を見ていた。

下積み時代の話や、絵をどうすれば売れるのかといった話をしている人、という印象だった。しかし、その時は本人がどんな絵を描いているのか、ほとんど知らなかった。

最近になってXで作品を見る機会があり、初めてちゃんと絵を見た。

すると、ものすごく上手かった。

女性を描いた写実画なのだが、単純に写真のように上手いだけではない。発想が自由で、女性を描くというテーマの中にも独特の感覚がある。技術だけではなく、作品そのものに魅力を感じた。

正直、もし自分がお金持ちだったら、その人の絵を買いたいと思った。

普段、他の画家について「この人の作品が欲しい」と思うことはあまりない。だからこそ、自分でも少し驚いた。

YouTubeを見ていた時には、その人の本当のすごさに気づいていなかった。作品をちゃんと見て初めて、「ああ、この人は本当にすごい画家だったんだ」と思った。

こういう発見は、なかなか面白い。

2026年8月19日水曜日

サイトを作ることも、ひとつの創作

最近、また公式サイトを少しずつ更新しています。

いくつか作品を追加したり、細かい部分を変更したりしているのですが、これが意外と楽しい。

僕は以前からWeb制作を仕事にしてきたので、サイトを作ること自体には慣れています。でも、改めて考えてみると、サイト制作も一つの「創作」なんですよね。

絵を少しずつ描いていくのと同じように、サイトも少しずつ手を加えていく。

ここを変えたらどうだろう、もう少しこうしたほうがいいんじゃないか、と考えながら更新していく。

そして面白いのは、Webサイトには「完成」がないことです。

手をかければかけるほど、少しずつ良くなっていく。

大きな変更をしなくても、ちょっとした修正だけで見た目が変わる。それがまた面白い。

考えてみると、僕は絵でもゲームでもWebサイトでも、何かを「作る」ということ自体が好きなのかもしれません。

逆に、決められたことを淡々と繰り返すような作業は、あまり好きではありません。

会社員時代にもそういう仕事はありましたが、どうも自分には向いていなかった。

何かを考えて、試して、少しずつ形にしていく。

そういう創作的な仕事のほうが、やっぱり自分には合っている。

最近サイトを更新しながら、改めてそんなことを感じています。

どうやら僕は、何かを作っているときが一番楽しいみたいです。

みんなの評価を、僕はあまり信じない

 最近、ネット上の「みんなの評価」を、あまり当てにしないようになりました。

ゲームでも本でも、世間で「名作」「最高傑作」と評価されているものを実際に体験してみると、「それほどでもないな」と感じることがあります。

逆に、ネットで「つまらない」「おすすめしない」と言われているもののほうが、自分には面白かったりする。

僕の場合、世間の評価と自分の評価が、逆になることが結構あるんです。

なぜなんだろう、と考えてみると、そもそもネットの評価は「みんなの意見」ではないのかもしれません。

例えばAmazonのレビューでも、商品を買った人全員が評価するわけではありません。

評価する人には、もともとその作品や作者のファンだったり、強い思い入れがあったりする人もいる。

そういう人たちの評価が集まって、「高評価」という結果になっている可能性があります。

さらに、人間には「みんながいいと言っているから、きっといいものなんだろう」と考えてしまうところがあります。

高評価を見て購入し、その人も高評価をつける。

そうやって評価がさらに強化されていくこともあるでしょう。

だから僕は、評価の数字だけを見て「これは良いものだ」とは判断しません。

むしろ、評価が低いものを見ると、

「なぜこんなに評価が低いんだろう? 自分が試したらどう感じるんだろう?」

と逆に興味が出ることがあります。

もちろん、単なる逆張りをしたいわけではありません。

大切なのは、他人の評価と自分の評価を分けることだと思っています。

みんなが「最高」と言っていても、自分にはつまらない。

それなら、それでいい。

みんなが「ダメだ」と言っていても、自分は面白いと思う。

それも、それでいい。

他人の評価は参考にはできる。

でも、最終的に「いい」「悪い」を決めるのは、自分自身です。

世の中には、ランキングや星の数、口コミなど、他人の評価があふれています。

だからこそ、

「みんながどう思っているか」ではなく、「自分はどう思ったのか」

を大切にしたいと思っています。

2026年8月10日月曜日

作品を公式サイトに掲載しました

YUMI Art Projectの公式サイトに、過去に制作した作品を3点ほど掲載しました。

https://yumi.cyakusin.net/

どれも、これまでYahoo!オークションで販売し、実際に購入していただいた作品です。

本当はこれ以外にも過去の作品はたくさんあるのですが、サイトのスペースなどの関係もあり、今回は9点に絞って掲載してみました。

今回、過去作品を掲載しようと思ったのには、ちょっとした理由があります。

それは、僕の作品をあまり知らない人に、

「これまで、こんな作品を作ってきたんだ」

ということを知ってもらいたかったからです。

現在販売している作品については、公式サイトを見れば分かります。

でも、ふと考えてみると、アーティストや画家が「過去にどんな作品を作ってきたのか」というのは、意外と分からないものなんですよね。

例えば、ある画家の公式サイトを見ても、現在販売されている作品や最近制作された作品は掲載されている。

でも、

「この人は10年前にはどんな作品を作っていたんだろう?」

「以前はどんな表現をしていたんだろう?」

ということになると、なかなか分からない。

もちろん、長い活動歴がある作家なら、個展や展覧会の記録などから過去の作品を見ることができる場合もあります。

でも、すべての作品が残されているわけではありません。

そして、これは見る側からすると、結構もったいないことだと思うんです。

作品というのは、現在の一枚だけで突然生まれたものではありません。

それまでに作ってきた作品があって、その経験や試行錯誤があって、その先に現在の作品があります。

だから、過去の作品を見ることで、

「この人はこういう作品を作ってきたんだ」

「以前はこういう表現をしていたんだ」

「そこから今の作品につながっているんだな」

ということが、少しずつ見えてくる。

僕自身も、改めて過去の作品を見返してみると、以前は気づかなかったことに気づくことがあります。

当時は単純に「この作品を作ってみよう」と思って制作していたものでも、後から見ると、

「この作品から今の方向性につながっているのかもしれない」

と思うこともあります。

2026年8月9日日曜日

この作品が、これからの方向性を示しているのかもしれない

そして、改めてその作品を見返してみたんですが……。

「これは、自分の中でもかなりの傑作なんじゃないか」

そんなふうに思いました。

もちろん、自分で作った作品ですから、どの作品にもそれぞれ思い入れはあります。

でも、この作品には、今までの作品とは少し違うものを感じるんですよね。

何というか、自分がこれから作っていく作品の、一つの起点になっているような感じがするんです。

作品自体は、決して複雑なものではありません。

一人の女性が少し横を向いて、何かを考えているような表情をしている。

背景も、ほとんど何もありません。

女性はショートヘアで、赤い着物を着ています。

全体的に、とてもシンプルです。

それなのに、なぜか印象に残る。

派手な演出があるわけでもないし、背景を細かく描き込んでいるわけでもない。

それでも、何となく頭の中に残り続けるんです。

自分でも、この作品は以前からかなり気に入っていました。

そして今回、作品が売れたことをきっかけに、改めてじっくり見てみると、

「もしかすると、この作品には、自分がこれまで作ってきたものが集約されているのかもしれない」

そんなことを思いました。

これまで自分はいろいろな作品を作ってきました。

いろいろな表現を試して、色や構図を変えて、背景を作り込んだり、装飾を加えたりしてきました。

でも、最終的に自分が惹かれているのは、もしかすると、そういう「足していく表現」ではなく、必要なものだけを残して、シンプルにすることなのかもしれません。

女性の表情。

髪型。

着物。

色。

そして、何もない背景。

それだけでも、作品として成立する。

むしろ、余計なものがないからこそ、見る人の中に何かが残る。

この作品を見ていると、そんなことを感じます。

そして、この作品がこれからの自分の作品の方向性を、少し示しているような気もしています。

もちろん、これから何を作っていくのかは、まだ分かりません。

また違う方向に進むかもしれません。

でも、今回この作品を改めて見たことで、

「自分は、こういう作品を作りたかったのかもしれない」

という感覚が、少しだけ見えてきたような気がします。

先日売れたことで、この作品は自分の手元から離れていきました。

でも、手元から離れたからこそ、逆に少し距離を置いて見ることができた。

そして今になって、この作品が自分にとってどんな意味を持っていたのか、少し分かってきたような気がします。

もしかすると、この作品は一つの「完成」ではなく、これからの作品の始まりだったのかもしれません。

自分のこれまでの作品の集大成でありながら、同時に、これから先の方向性を示している。

そんな不思議な位置にある作品なのかもしれません。

大きな目標を見すぎない

「夢は叶う」「夢は必ず叶う」よく聞く言葉ですよね。

前向きで、とても良い言葉だと思います。

ただ、僕自身は昔から、この言葉があまり好きではありません。

もちろん、「そんなことを言ってはいけない」という意味ではありません。若い頃なら、むしろ「夢は叶えることができる」と信じていたほうがいい場合もあると思います。

何かを始める前から、

「どうせ無理だ」

「そんな簡単にいくわけがない」

と思ってしまったら、何も始まりませんからね。

でも、ある程度人生を経験してくると、少し考え方が変わってきます。

世の中は、そんなに簡単ではない。

自分が努力したからといって、必ず結果が出るわけではない。

むしろ、努力しても思うようにいかないことのほうが、たくさんある。

そういう現実が、だんだん見えてくるからです。

だから僕は、

「夢は叶う」

と簡単に言い切ることに、少し違和感があります。

「叶える」より「続ける」

では、どう考えたらいいのか。

ウサギより、カメのほうがいい

以前、「ウサギとカメ」の話をしたことがあります。

僕は、人生では「ウサギ」より「カメ」のほうがいいのではないかと思っています。

ウサギは速い。

一気に大きく前進することもできます。

でも、途中で休んでしまう。

一方、カメは遅い。

それでも、一歩ずつ進んでいく。

もちろん、人生は童話のように単純ではありません。

カメのように努力したからといって、必ずウサギに勝てるわけでもない。

どれだけ頑張っても、目標に到達できないこともあります。

それでも、歩き続けていれば、少なくとも昨日よりは前に進んでいる。

僕は、この感覚が大切なのではないかと思っています。

「夢が叶うかどうか」は、分からない

人生をある程度経験すると、夢が叶うかどうかなんて、自分には分からないということが分かってきます。

努力しても失敗することがある。

才能があっても評価されないことがある。

逆に、思いがけないところからチャンスが来ることもある。

運もあります。

タイミングもあります。

人との出会いもあります。

だから、

「努力すれば夢は必ず叶う」

とは、僕には言えません。

でも、

「夢が叶うかどうかは分からない。それでも、自分がやりたいことを続ける」

ことはできます。

そして、そのほうが精神的にも楽なのではないでしょうか。

「絶対に成功しなければならない」と思ってしまうと、結果が出なかったときにつらくなります。

でも、

「今日は少し進めればいい」

と思えば、続けることができます。

大きな目標を見すぎない

大きな目標を持つこと自体は、悪いことではありません。

むしろ、目標があるからこそ、今やっていることに意味を感じられることもあります。

ただ、大きな目標ばかりを見ていると、現在との距離があまりにも遠く感じられてしまいます。

「まだこんなに遠い」

「全然、目標に近づいていない」

そう考えてしまう。

だから、ときには目標を見るのをやめて、目の前を見る。

今日やることをやる。

明日もやる。

できない日は休む。

そして、またやる。

その繰り返しでいいのではないでしょうか。

振り返ってみたら、いつの間にかかなり遠くまで来ていた。

もしかすると、大きな目標に到達する人というのは、最初から「夢を叶えよう」と必死になっていた人ではなく、毎日を淡々と積み重ねることができた人なのかもしれません。

夢は、必ず叶うとは限らない。

でも、歩き続けることはできる。

だから僕は、

「夢を叶えなさい」よりも、
「カメのように、少しずつでもいいから歩き続けなさい」

という考え方のほうが、今の自分にはしっくりきます。

そして、人生では案外、そのくらいのほうが長く続くのかもしれません。

2026年8月8日土曜日

私が影響を受けたCGクリエイター「森田さん」

私が大きな影響を受けた人物の一人が、森田さんです。

これは今から約25年前、2000年頃の話になります。当時、私は森田さんが制作した3DCGを毎日のように見て研究していました。ただ眺めるだけではなく、「どうやって作っているのだろう」と考えながら、何度も作品を見返していたことを覚えています。

森田さんは、私と同じCAD系の3DCGソフトを使って作品を制作していたプロのクリエイターです。私は勝手に「先輩」のような存在だと思っていました。

森田さんの作品を見たことで、私は建築や工業デザインのような無機質で美しい造形にも強く興味を持つようになりました。作品そのものだけでなく、そのデザインセンスや空気感からも多くを学んだと思います。

今回掲載した作品は、おそらく約30年前に制作されたものです。

今の目で見ると、最新の3DCGと比べて技術的な違いはあります。しかし、当時の制作環境を知っている人なら、その凄さがよく分かるはずです。

30年前は、日本でも3DCGはまだゲームで少し使われ始めた程度の時代でした。本格的なポリゴンゲームが一般的になる前で、現在のようにリアルタイムで高品質な映像を表示できる環境ではありません。

レンダリングも非常に時間がかかり、高品質な静止画を1枚仕上げるだけで何日もコンピューターを動かし続けることも珍しくありませんでした。

そんな時代に、ここまで完成度の高い作品を作り上げていた森田さんは、本当に先駆者だったと思います。

私は森田さんとはメールで何度もやり取りをさせていただきました。同じソフトを使っていたこともあり、制作方法やソフトの情報交換をする機会もありました。実際にお会いしたのは一度だけですが、その交流は私にとってとても貴重な経験でした。

もちろん、現在の3DCG技術は当時とは比べものにならないほど進化しています。ハードウェアの性能も、ソフトウェアの機能も、制作環境もまったく別世界です。

それでも、限られた環境の中でこれほど完成度の高い作品を生み出していた30年前のクリエイターたちには、今見ても学ぶべきものがたくさんあります。

私にとって森田さんは、3DCGという世界の面白さを教えてくれた、大切な存在の一人です。

2026年8月3日月曜日

女性を描くことは、自分への慰めだったのかもしれない

 以前、自分は「女性を描くことは、自分への慰めになっているのではないか」という話をしたことがあります。

そのときは、自分でもはっきり答えが出ず、「よくわからない」という結論になりました。

でも最近、改めて考えてみると、「やっぱり慰めだったんだな」と感じるようになりました。

もちろん、「慰め」という言葉だけでは少し違う気もします。

でも、自分の心を落ち着かせたり、過去と向き合ったりする意味では、この言葉が一番近いように思います。

20代の頃、僕にはとても好きだった女性がいました。

とても美しい人で、僕はその人に夢中になりました。

結局は片思いのまま終わりましたが、その想いは自分でも驚くほど強く、人生の大きな部分を占めていたように思います。

振り返ると、あの頃の経験によって、自分の人生は大きく変わりました。

「人生が狂った」と言うと少し否定的に聞こえてしまいますが、必ずしも悪い意味だけではありません。

後悔しているわけではないのです。

あの経験があったからこそ、今の自分がいて、女性を描き続ける理由にもつながっているのだと思います。

だから、女性を描くことは単に「美しいものを描きたい」というだけではありません。

自分の中に残り続けている想いや憧れ、言葉にできなかった感情を、絵という形で表現しているのかもしれません。

それが結果として、自分自身の心を少しずつ癒やし、慰めてくれている。

最近になって、そんな気がするようになりました。

人は過去の出来事を簡単に忘れることはできません。

でも、その経験を創作へと変えることはできます。

もしかすると、僕が描き続けている女性たちは、誰か一人を描いているのではなく、自分の心の奥にある憧れや想いを映し出した存在なのかもしれません。

そう考えると、これまで描いてきた一枚一枚の作品にも、少し違った意味が見えてくるような気がしています。


2026年7月30日木曜日

私が影響を受けたアーティストと、創作の原点


実は、絵を描くうえで「この人の作品を目標にしてきた」という存在は、それほど多くありません。

一番影響を受けたと言えるのは、若い頃に出会ったアンディ・ウォーホルです。

当時は現代アートについてほとんど知識がなく、ウォーホルの作品だけが強く印象に残っていました。特に有名なキャンベル・スープ缶を描いた作品には、大きな衝撃を受けました。

ちょうど東京でウォーホル展が開催されていたこともあり、実際に作品を見に行ったのですが、本物を目の前にしたときのインパクトは今でも覚えています。

その影響もあって、一時期はポップアートを意識した作品を描いていたことがあります。

しかし、それ以降は「この作家に大きな影響を受けた」と言えるような人物は、ほとんどいません。

絵ではありませんが、3DCGを始めた頃には、とても尊敬していた人がいました。

建築デザインを手がけていた森田さんという方です。私にとっては先輩のような存在で、その方が制作する建築CGやデザインの完成度には、本当に驚かされました。

「いつか森田さんのようなグラフィックを作れるようになりたい。」

そんな憧れを持ちながら、必死に3DCGを学んでいた時期がありました。もう25年以上前の話になります。

振り返ってみると、創作において誰か一人の作風を追い続けてきたわけではありません。

むしろ、自分なりに現代アートとは何かを考え、独学で学び続けてきました。

現代アートというジャンルを本当に理解できるようになるまでには、何年もかかりました。本を読んだり、作品を見たり、自分なりに考えながら少しずつ理解を深めていったのです。

だからこそ、現在の作品は特定の作家を真似したものではなく、自分自身が積み重ねてきた経験や考え方から生まれたものだと思っています。

影響を受けた人は決して多くありませんが、その数少ない出会いと、長年の試行錯誤が、今の私の作品につながっているのです。

2026年7月28日火曜日

公式サイトで新作アートの販売を開始しました

このたび、YUMI Art Project公式サイトにて、新作アートの販売を開始しました。

https://yumi.cyakusin.net/

今回公開した作品は、これまでヤフオクで出品している作品とは異なる、新たなラインナップの一枚です。

作品には、赤い着物をまとった一人の女性が描かれています。何かを静かに見つめるその表情には、言葉では表現しきれない物語や感情が込められているような、落ち着いた雰囲気があります。

鮮やかな赤い着物が印象的でありながら、派手さだけではなく、静けさや気品も感じられる作品に仕上がりました。細部まで丁寧に描き込み、全体のバランスや色彩にもこだわった、完成度の高い一枚です。

公式サイトでは、今後もヤフオクとは異なる作品や、新作・代表作などを順次公開していく予定です。

ぜひ一度、公式サイトで作品をご覧いただければ幸いです。作品の世界観や細かな表現を楽しみながら、お気に入りの一枚を見つけていただければ嬉しく思います。

2026年7月24日金曜日

公式サイト限定作品の販売を始めるかもしれません

現在、私の作品は主にYahoo!オークションで販売していますが、今後は公式サイトからも直接購入できるようにしようと考えています。

販売するのは、これまで公開していなかった作品を中心とした「公式サイト限定」のラインナップです。

作品のジャンルは、これまでYahoo!オークションでご覧いただいているものと同じく、美少女をテーマにしたアートです。ただし、内容は少し違います。

Yahoo!オークションに出品している作品は、比較的多くの方に楽しんでいただけるような、幅広い好みに合う作品を選んでいます。

一方、公式サイトで販売を予定している作品は、私自身の個性がより強く表れた作品です。

一般的な人気を意識して制作したものではなく、「YUMI Art Project」が好きな方だからこそ楽しんでいただけるような、少しマニアックな作品も数多く含まれています。

まずは試験的に3作品ほど公開し、公式サイト限定で販売してみようと思っています。

販売方法はオークションではありません。

価格が入札によって変動するのではなく、あらかじめ決めた定価でご購入いただける形を予定しています。そのため、価格を気にすることなく、気に入った作品をそのままお選びいただけます。

公式サイトを訪れてくださる方は、作品に興味を持ってくださっている方や、YUMI Art Projectを応援してくださる方が中心だと思います。

だからこそ、オークションでは公開していない作品や、より個性的な作品をお届けできる場所として、公式サイトを育てていきたいと考えています。

まだ構想段階ではありますが、これまでとは少し違った作品との出会いを楽しんでいただけるよう、準備を進めていく予定です。 

2026年7月23日木曜日

絵の価値は誰が決めるのか 一次販売と二次販売から考える

業者はヤフオクで商品を購入し、自分の店舗で販売したり、海外のマーケットへ輸出したりしています。日本国内だけでなく海外へ流通するケースも珍しくありません。

もちろん、業者が最終的にいくらで販売しているのかは分かりません。私たちが確認できるのは、ヤフオクでの落札価格だけです。その後、どのくらいの価格で再販売されているのかは、ほとんど見えない世界です。

実は、私の作品「YUMI Art Project」の作品も同じだと考えています。

購入してくださるのは個人のコレクターだけではなく、関東や関西などの業者の方もいます。その後、店舗などで販売されていると思われますが、その価格は私には分かりません。

ただ、一般的な美術品や中古市場では、仕入れ価格より高い価格で販売されることが多く、場合によっては数倍の価格になることもあります。

つまり、私がヤフオクで販売した価格よりも、最終的に購入するお客様は、さらに高い価格で作品を手にしている可能性があるということです。


では、本当の作品の価値とは何でしょうか。

私は、作品の価値は単純に「最初の販売価格」だけでは決まらないと考えています。

作品がその後どのような市場で流通し、どれだけ求められ続けるのか。その需要こそが、本当の価値を映し出すのではないでしょうか。

私の作品についても、購入後にさらに高い価格で取引される可能性は十分あると思っています。実際に業者の方が仕入れているという事実を考えると、その可能性は決して小さくありません。

だからこそ、作品の価値は「今いくらで売れたか」だけでは測れません。

市場で長く評価され、人から人へ渡りながら価値を持ち続けること。その積み重ねこそが、本当の意味での作品の価値なのだと思います。

2026年7月22日水曜日

レトロパソコンは今や気軽に買えない趣味になってしまった


昔のパソコンやレトロゲームには、今でも興味があります。

以前は実際に何台か購入したことがありますが、ほとんどはヤフーオークションで手に入れました。こうした80年代のパソコンは、一般のお店ではほとんど見かけることがなく、中古市場で探すしかありません。

特に好きなのは、ファミコンが発売される前後、1983年頃のゲームです。

当時のゲームはとてもシンプルで、ルールも分かりやすく、短時間でも楽しめる作品が多くありました。その後、ゲームは急速に進化し、80年代後半になるとスクロールアクションや大作RPGなど、内容がどんどん複雑になっていきます。

もちろん、それはゲームの進化でもあるのですが、私はどちらかというと初期のシンプルなゲームに魅力を感じます。限られた性能の中で工夫して作られたゲームには、今遊んでも独特の面白さがあります。

ただ、今は価格が大きく変わってしまいました。

当時は比較的手頃な価格で購入できましたが、現在ではゲームソフト1本が5,000円程度、高いものでは1万円近くすることも珍しくありません。さらにパソコン本体まで購入すると、あっという間に数万円から十数万円の出費になってしまいます。

そこまでお金をかけても、実際に遊ぶ時間はそれほど長くないでしょう。懐かしさで遊び始めても、昔のゲームはシンプルだからこそ、短時間で満足してしまうことも多いと思います。そう考えると、現在の価格ではコストパフォーマンスはあまり良いとは言えません。

だから今は、「欲しい」という気持ちはあっても、実際に買うことはほとんどありません。

もし自由に使えるお金がたくさんあれば、昔のパソコンやゲーム機を集めてみたいという気持ちはあります。しかし、現実的にはそんな機会はなかなか訪れないでしょう。

レトロパソコンやレトロゲームは、私にとって今でも魅力的な存在です。ただ、それらは昔のように気軽に楽しめる趣味ではなくなってしまいました。

だからこそ、当時手頃な価格で手に入れることができた時代は、本当に恵まれていたのだと、今になって実感しています。

2026年7月19日日曜日

上達する人は「速い人」ではなく「続ける人」

 何か新しいことを始めると、「できるだけ早く上達したい」と思うものです。

だから、多くの人は学校へ通ったり、先生から教えてもらったりします。やはり、経験者から直接学ぶのは上達への近道です。

一方で、独学はどうしても時間がかかります。私自身も独学でいろいろ学んできたので、その大変さはよくわかります。

でも、最近思ったことがあります。

それは、上達するために一番大切なのは、毎日やることよりも「続けること」ではないかということです。

もちろん、毎日練習できれば上達は早くなります。毎日続けることで集中力も身につき、感覚も途切れません。

しかし、毎日やろうとして途中で挫折してしまったら、それで終わりです。

それなら、たとえ週に1回でも、何年も続けた人のほうが、最終的には大きく成長するのではないでしょうか。

上達のスピードは遅くても、継続していれば確実に前へ進みます。

これは、まるで「ウサギとカメ」の話のようです。

ウサギは速く走れますが、途中で休んでしまいました。一方、カメは遅くても一歩ずつ歩き続け、最後にはゴールへたどり着きました。

人生や仕事、趣味の上達も同じようなものだと思います。

速く進むことよりも、止まらずに続けることのほうが、結果的には強いのです。

学校に行けば成功するわけではない

以前、デザイン専門学校を卒業した人からこんな話を聞きました。

クラスの中で実際にデザイン関係の仕事に就いたのは、たった2人だけだったそうです。

その人自身はWebデザイナーになり、もう一人もデザイン業界へ進みました。しかし、それ以外の人はまったく違う職業に就いたそうです。

私は、この話は特別なことではないと思っています。

専門学校を卒業したからといって、全員がその業界へ進むわけではありません。

もちろん、学校で学ぶことには大きな意味がありますし、就職でも有利になることがあります。

しかし、最終的に評価されるのは、やはり自分が作った作品です。

私自身は学校で専門的に学んだわけではなく、独学でした。

それでも、これまで作ってきた3DCGやWebデザインなどの作品を見てもらい、それが評価されて採用していただきました。

結局は、学歴よりも「何を作れるか」が重要だったのです。

才能はある。でも、それだけではない

「才能は関係あるのか」と聞かれると、私は「あると思う」と答えます。

私の知る限り、絵がとても上手な人は、子どもの頃からすでに上手でした。

特別な教育を受けていなくても、小学生の頃から他の子より明らかに絵が上手な人はいます。

私自身も、子どもの頃から絵を描くのは得意でした。

そう考えると、絵にはある程度の才能が関係しているのかもしれません。

ただ、才能だけでは十分ではありません。

才能があっても努力しなければ伸びませんし、逆に飛び抜けた才能がなくても、長く続けることで大きく成長する人もいます。

結局、才能を活かせるかどうかは、その後の努力と継続にかかっているのだと思います。

続ける人が最後に強くなる

何かを始めると、どうしても「早く結果を出したい」と焦ってしまいます。

でも、本当に大切なのは、途中でやめないことです。

毎日できなくても構いません。

週に1回でも、月に数回でも、自分のペースで続けていけば、その積み重ねは必ず力になります。

上達には近道もあります。

しかし、それ以上に大切なのは、長く続けることです。

私は、最後に大きく成長する人とは、「一番速く走った人」ではなく、「最後まで歩き続けた人」なのだと思っています。

2026年7月17日金曜日

昔作っていた3DCG作品が、仕事につながった話

 最近、昔作っていた3DCG作品を見返す機会がありました。

これらは2000年頃に制作した作品です。当時は、自分で作ったホームページに掲載していました。今見るとHTMLを手打ちで作ったシンプルなサイトで、デザインも決して洗練されていたわけではありません。それでも、そのホームページが思わぬ形で仕事につながりました。

当時、私はWebデザイナーの面接を何度か受けました。

不思議なことに、多くの会社で比較的スムーズに採用してもらえたんです。

今考えてみると、HTMLやWebデザインと3DCGは直接関係があるとは言えません。しかし採用する側からすると、「この人は何か作れる人だ」「表現力がありそうだ」と感じてもらえたのかもしれません。

実際、私はWebデザインの専門家というわけではありませんでした。

HTMLは手打ちで書いていましたし、デザインの知識も独学レベルです。それでも、自分で作った3DCG作品をホームページで公開していたことが、自分自身を証明する材料になっていたのでしょう。

作品は何よりも強い自己紹介になる

最近、SNSで「絵描きになりたい」「デザイナーになりたい」という人をよく見かけます。

そんな人たちを見ていて思うのは、やはり作品が一番大切だということです。

もちろん、どこの学校を卒業したか、どんな会社で働いてきたかといった経歴も多少は見られるでしょう。

しかし、クリエイティブな仕事では最終的に問われるのは、

「どんな作品を作ってきたのか」

この一点ではないでしょうか。

ポートフォリオを見る前に、まず作品を見せてほしい。採用する側は、そんな気持ちなのだと思います。

実はポートフォリオを作るつもりはなかった

面白いことに、私は最初からポートフォリオを作ろうと思っていたわけではありません。

ただ、3DCGが面白くて仕方がなかったんです。

毎日のように、

「3DCGで何ができるんだろう」

「どこまで表現できるんだろう」

そんなことばかり考えていました。

作品を作るというより、技術や表現を実験していた感覚に近かったですね。

当時は「完成した作品を増やそう」という意識よりも、「3DCGという道具で新しい表現ができるか」を試すこと自体が目的でした。

アートにはまったく興味がなかった時代

意外に思われるかもしれませんが、この頃の私はアートにほとんど興味がありませんでした。

美術教育を受けたこともありませんし、現代アートについて知識もありませんでした。

「アートとは何か」

そんなことを考え始めたのは、ずっと後のことです。

2000年頃は、純粋に3DCGという技術に夢中でした。


その後、5年ほど経ってから、現代アートや表現そのものについて興味を持ち、本格的に研究するようになります。

今振り返ると、技術だけを追いかけていた時代があったからこそ、その後のアート活動にも自然につながっていったのだと思います。

美人を描くことはありなのか

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