僕の中には、昔からなんとなく考えている「意識理論」みたいなものがある。
普段はほとんど人に話さない。
たぶん話しても、うまく伝わらないと思うからだ。
最近は哲学ブームみたいなものもあって、本屋に行くと哲学系の本がたくさん並んでいる。
「人生をどう生きるか」とか、「幸せとは何か」とか、そういうテーマの本だ。
でも、僕が考えているのは、そういう話とは少し違う。
もっと単純で、もっと奇妙なテーマだ。
それは「生まれ変わり」について。
ただし、よくあるスピリチュアル的な話ではない。
魂が別の人間に乗り移るとか、前世の記憶がどうとか、そういう話でもない。
むしろ逆で、「自分とは無関係な別人として生まれる」という考え方に近い。
無から生まれて、また無に戻る
人は生まれる前、無の状態だったと思う。
少なくとも、自分には生まれる前の記憶はない。
何もない状態から、突然「自分」という意識が始まった。
そして死ねば、また無に戻る。
ここまでは、多くの人がなんとなくイメージできると思う。
でも僕が気になるのは、その“次”なんだ。
もし自分が死んだあと、どこかで別の誰かが生まれたとする。
当然、その人は自分ではない。
記憶も違うし、人格も違う。
客観的に見れば、完全に別人だ。
でも、その人にはその人の「一人称」がある。
つまり、その人は「自分として」世界を見ている。
一人称の不思議
ここで重要なのは、「一人称」と「三人称」の違いだと思う。
他人から見れば、その人はただの別人だ。
それは三人称の視点。
でも、その人自身の視点に入れば、そこには確かに「自分」が存在している。
つまり、
外から見れば別人
でも内側から見れば、“自分”として世界を体験している
ということになる。
そして考えてみると、今の自分も同じなんだよね。
自分は無の状態から突然「自分」として始まった。
気づいたら、この視点、この意識、この世界の中にいた。
もしそれが一度起きたのなら、また起きないと断言できるのか?
というのが、僕の考えていることなんだ。
「絶対に生まれ変わらない」と証明できるのか
もちろん、「また生まれる」と証明することもできない。
でも逆に、「絶対に生まれ変わらない」とも言い切れない気がする。
ここで言う生まれ変わりは、魂の移動ではない。
むしろ、
「無」→「一人称の発生」→「無」→「別の一人称の発生」
という現象が、繰り返される可能性について考えている感じだ。
それは“同じ自分”ではない。
でも、その瞬間にはまた「自分」という感覚が存在している。
この感覚を、うまく説明するのはかなり難しい。
たぶん普通の生まれ変わりの話とは全然違うし、スピリチュアルとも少し違う。
どちらかというと、意識そのものについての哲学的な疑問に近いのかもしれない。
この考えを突き詰めると面白い
この理論を突き詰めていくと、かなり不思議な話になっていく。
「自分とは何か」
「意識とはどこから来るのか」
「一人称はなぜ存在するのか」
そういう話につながっていくからだ。
正直、うまく説明できている自信はない。
でも、自分の中ではずっと引っかかっているテーマでもある。
たぶん、この感覚を完全に理解できる人は少ないと思う。
それでも、考え始めると結構面白いテーマなんじゃないかなと思っている。