社会の構造は本当に理不尽なのか——そんな問いが、これまで何度も自分の中に浮かんできました。
その背景には、会社勤めをしていた頃の経験があります。いわゆるブラック企業やパワハラと呼ばれるような環境でしたが、当時はまだそうした言葉自体が一般的ではない時代でした。概念として存在していなくても、どこか「これはおかしいのではないか」という違和感だけは、はっきりと感じていたのです。
その中で特に強く感じたのが、「会社は何をもって人を評価しているのか」という点でした。一見すると、人間性が重視されているように見えます。では、その人間性とは何なのか。仕事に対する真面目さなのか、気力や体力なのか。
自分なりに考えた結論は、少し違うものでした。会社における人間性とは、つまりコミュニケーション能力のことなのではないか、ということです。
極端に言えば、コミュニケーション能力がある人は評価され、そうでない人は評価されにくい。そこには、仕事ができるかどうかとは別の基準が存在しているように感じました。たとえ高いスキルを持っていても、周囲とうまく関係を築けなければ必要とされない。一方で、多少仕事ができなくても、人との関係性が良ければ認められることもある。
もちろん職種による違いはあるにせよ、こうした傾向は多くの組織に共通しているのではないかと思います。
では、コミュニケーション能力とは何か。それは突き詰めれば、「人から好かれるかどうか」ということに近いのかもしれません。周囲に受け入れられる人は居場所を持てるが、そうでない人は排除されやすい。そんな構造があるように感じていました。
仕事ができるだけでは不十分で、人間関係の中でうまく振る舞えることが求められる。その現実が、自分にとってはどこか理不尽に思え、苦しさの原因にもなっていました。
結果として、自分は組織から離れ、独立という道を選びました。ただそれも、強い意志というよりは、流れの中でたどり着いた選択だったように思います。
結局のところ、どんな立場であっても、自分にできることを一つひとつ積み重ねていくしかない。そうやって、自分なりの生き方や表現を見つけていくしかないのだと、今は感じています。