2026年2月27日金曜日

予測不能な「遊び」が教えてくれたこと。昔の作品を振り返って。

 

久しぶりに、昔描いた自分の作品を眺めていました。 そこにあったのは、今の自分でも「何を考えていたんだろう?」と首をかしげてしまうような、純粋な試行錯誤の跡でした。

3DCGで描く「水遊び」という実験

特に印象的だったのが、3Dソフトを使って描いた抽象画『水遊び』と、ユーチューバー風のキャラクターイラストです。

当時の自分は、あえて3Dを2D風に表現する手法を試していました。 3Dレンダリングというのは面白いもので、計算が終わるまで、最終的にどんな絵が飛び出してくるか完全には予測できないところがあります。

  • 狙い通りにいかない面白さ

  • 偶然生まれた形や色を楽しむ余裕

  • ダメなら修正し、また回す。その繰り返し。

一般的な絵画は「意図」を形にするものかもしれませんが、僕にとっては「偶然」との対話が、何よりの制作の醍醐味だったのだと思います。

「自己満足」という壁にぶつかって

けれど、今の僕は抽象画を描くのをやめてしまいました。 理由はシンプルで、「自分だけで満足してしまい、誰にも伝わらない」ことに限界を感じたからです。

自分では「いい絵ができた!」と手応えを感じても、それが他人の心に届かなければ、ただの自己満足の世界で終わってしまう。 「これには一体、どんな意味があるんだろう?」 そんな風に、描く意義を見失いそうになった時期もありました。

過去の「点」が、今の「線」になる

でも今振り返ると、その迷いや実験の日々が無駄だったとは思いません。

意味があるかないか、誰かに伝わるかどうか。 それを必死に考えて、手を動かし、予測不能な結果にワクワクしていたあの経験があったからこそ、今の自分の表現があるのだと確信しています。

どんなに支離滅裂な妄想に見えても、当時はそれが僕の全力でした。 その積み重ねの上に今の自分が立っていると思うと、過去の作品たちが少しだけ愛おしく感じられるのです。

正解のないアートの中で見えてきたもの

現代アートの世界には、おそらく「これが正解」というものは存在しないのだと思う。 もちろん、ある程度のジャンルや流れはある。しかし突き詰めていけば、それぞれが自分独自のジャンルへと行き着くのではないだろうか。 そう考えると、ジャンルそのものを自分で創り出すという発想も決して間違いで...