2026年5月2日土曜日

抽象画について、最近思っていること

 以前、現代アートについて自分がどう思っているのかを書いたことがある。

その時、抽象画についても少し触れていたと思う。

実は僕自身、昔は抽象画っぽい表現を描いていた時期があった。

当時は、そういう表現に少し興味があったし、「現代アートとして面白いかもしれない」と思っていたんだよね。

でも、結果的には描かなくなった。

抽象画に興味がなくなった理由

なぜ描かなくなったのかというと、だんだん、

「これは自己満足になってしまうんじゃないか」

と思うようになったからだ。

もちろん、アートは必ずしも他人に理解される必要はない。
そういう考え方もあると思う。

でも僕は、他人が見ても何も感じ取れないものや、意味が全く伝わらないものに対して、少し疑問を持つようになってしまった。

実際、自分自身が「よくわからない抽象画」を見た時に、不快感を覚えることもあった。

もちろん、すべての抽象画がそうというわけじゃない。
でも、「これは何なんだろう」と思うだけで終わってしまう作品も多かった。

現代アートは、なぜ抽象化していったのか

現代アートには抽象的な作品が多い印象がある。

もちろん、現代アート=抽象画というわけではない。
でも、全体として抽象化の方向へ進んでいったのは確かだと思う。

なぜそうなったのか。

僕自身、そこは正直よくわからない。

時代的な価値観の変化や、多様性の考え方も関係しているのかもしれない。
「正解のない表現」が重視されるようになった結果なのかもしれない。

でも、その流れに対して、自分が本当に共感しているかというと、今は少し違う。

“わからないもの”を、無理に理解したいとは思わなくなった

昔は、「理解できないものにも価値がある」と思っていた。

だから抽象画にも興味を持っていたし、自分でも描いていた。

でも今は、そこまで積極的に見たいとは思わなくなってしまった。

もちろん、自分の感覚に合う抽象画もある。
「これは好きだな」と思えるものも、たまにはある。

ただ、そういう作品はかなり限られている。

結果的に、自分が本当に惹かれる抽象画というのは、ごく一部なんだと思う。

今の自分は、“伝わる表現”のほうに興味がある

今の僕は、どちらかというと、

  • 何を感じてほしいのか

  • 何を表現したいのか

  • なぜその作品を作ったのか

そういうものが、ある程度伝わる作品のほうに興味がある。

完全に説明的である必要はない。
でも、少なくとも「何か共有できる感覚」が欲しい。

抽象画は、その“共有”の部分が極端に少なくなりやすい。

だから今は、以前ほど興味を持てなくなってしまったんだと思う。

それは、抽象画を否定したいわけではなくて、単純に自分の感覚が変わったということなんだろうね。

毎日歩くことについて、最近思うこと

僕は毎日、歩いている。 いわゆるウォーキングという感じなんだけど、運動として歩く時もあれば、買い物や用事で歩くこともある。 でも、とにかく1日に最低1回は歩いていると思う。 多い時は2回くらい外を歩いている。 車を持っていないので、移動は基本的に徒歩か、自転車か、交通機関になる。...