2026年5月2日土曜日

3DCGを30年続けてきて、今あらためて思うこと

 最近、3DCGについて改めて考えることがあった。

僕はもう30年くらい前から3DCGをやっている。
そもそも始めたきっかけは、単純にゲーム業界に入りたいと思ったからだった。

当時はちょうど、「3D表現」というものが世の中に広がり始めた時代だった。

今では3DCGなんて当たり前の技術だけど、その頃はかなり新鮮だった。
「コンピューターの中で立体を作る」ということ自体が、未来の技術みたいに感じられた時代だったと思う。

当時の3DCGは、今とは全然違った

その頃はいろんな3Dソフトが発売され始めていた。

ただ、僕が使っていたのは比較的安いソフトだった。
プロ向けというよりは、初心者向けとか、小規模な制作向けみたいな立ち位置のものだったと思う。

本格的なCGアニメーションを作る人たちは、もっと高価で高性能なソフトを使っていたはずだ。

だから、当時の僕は「プロを目指すCGクリエイター」というより、ただ興味本位で触っていた一般ユーザーに近かったと思う。

しかも、最初はほとんど理解できなかった。

3D空間という概念そのものが難しかったし、操作も複雑だった。
最初の数年間は、「なんとなく触ってるだけ」みたいな感じだったと思う。

一枚の“いい感じの絵”が、すべての始まりだった

でも、ある時、試行錯誤しながら女の子のイメージを作ってみた。

すると、一枚だけ、なんとなく「いい感じ」の絵ができたんだよね。

技術的には全然大したことなかったと思う。
今見たら、おそらくかなり粗いものだったはずだ。

でも、その時に初めて、

「3Dでこういう絵が作れるんだ」

という面白さを感じた。

そこから一気にハマっていった。

技術よりも、“表現できること”が面白かった

当時の僕は、モデリングが特別うまかったわけでもない。

かなり大雑把だったし、高度なこともできなかった。
それでも、3Dで絵を作れるということ自体が面白かった。

たぶん、あの時代に3DCGに触れていた人たちは、みんな似た感覚を持っていたんじゃないかと思う。

「3Dで表現できる」というだけで、すごく新鮮だった。

だから毎日のように何かを作っていた。
いろんな表現を試して、失敗して、また作る。

技術を極めたいというより、
「こんなことができるんだ」という感覚そのものに夢中になっていた気がする。

そして、気づけば“アート”の方向へ向かっていた

ただ、今振り返ると、不思議に思うことがある。

あの時間には、本当に意味があったんだろうか、と。

もちろん、無駄だったとは思わない。
でも、当時の自分は、今みたいな方向に進むとは想像していなかった。

結果的に、僕は「アート」や「芸術」みたいな方向へ興味が向いていった。

その理由の一つは、使っていたソフトにあった気がする。

僕の使っていたソフトは、アニメーションに強いソフトではなかった。
だから、「動き」で見せるというより、一枚の静止画で何を表現できるかを考えるようになった。

もし最初から高度なアニメーションが簡単に作れる環境だったら、たぶん違う方向に行っていたかもしれない。

でも、静止画中心だったからこそ、

  • 一枚の絵の中で何を表現するか

  • 雰囲気や感情をどう出すか

  • 世界観をどう作るか

みたいなことを考えるようになった。

それが結果的に、芸術とかアートの感覚につながっていったんだと思う。

過去は、今につながっている

当時は、ただ面白いからやっていただけだった。

将来どうなるかなんて考えていなかったし、意味があるかどうかもわからなかった。

でも、今こうして振り返ると、あの頃の試行錯誤が、確実に今の自分につながっている。

たぶん人生って、そういうものなのかもしれない。

その時は意味がわからなくても、
後になって、「あれが今につながっていたんだ」と気づくことがある。

3DCGを始めた頃の僕は、ただゲームを作りたかっただけだった。
でも結果的には、表現そのものを考える方向へ進んでいった。

そして、その感覚は今でもどこかで続いている気がする。

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