最近、3DCGについて改めて考えることがあった。
僕はもう30年くらい前から3DCGをやっている。
そもそも始めたきっかけは、単純にゲーム業界に入りたいと思ったからだった。
当時はちょうど、「3D表現」というものが世の中に広がり始めた時代だった。
今では3DCGなんて当たり前の技術だけど、その頃はかなり新鮮だった。
「コンピューターの中で立体を作る」ということ自体が、未来の技術みたいに感じられた時代だったと思う。
当時の3DCGは、今とは全然違った
その頃はいろんな3Dソフトが発売され始めていた。
ただ、僕が使っていたのは比較的安いソフトだった。
プロ向けというよりは、初心者向けとか、小規模な制作向けみたいな立ち位置のものだったと思う。
本格的なCGアニメーションを作る人たちは、もっと高価で高性能なソフトを使っていたはずだ。
だから、当時の僕は「プロを目指すCGクリエイター」というより、ただ興味本位で触っていた一般ユーザーに近かったと思う。
しかも、最初はほとんど理解できなかった。
3D空間という概念そのものが難しかったし、操作も複雑だった。
最初の数年間は、「なんとなく触ってるだけ」みたいな感じだったと思う。
一枚の“いい感じの絵”が、すべての始まりだった
でも、ある時、試行錯誤しながら女の子のイメージを作ってみた。
すると、一枚だけ、なんとなく「いい感じ」の絵ができたんだよね。
技術的には全然大したことなかったと思う。
今見たら、おそらくかなり粗いものだったはずだ。
でも、その時に初めて、
「3Dでこういう絵が作れるんだ」
という面白さを感じた。
そこから一気にハマっていった。
技術よりも、“表現できること”が面白かった
当時の僕は、モデリングが特別うまかったわけでもない。
かなり大雑把だったし、高度なこともできなかった。
それでも、3Dで絵を作れるということ自体が面白かった。
たぶん、あの時代に3DCGに触れていた人たちは、みんな似た感覚を持っていたんじゃないかと思う。
「3Dで表現できる」というだけで、すごく新鮮だった。
だから毎日のように何かを作っていた。
いろんな表現を試して、失敗して、また作る。
技術を極めたいというより、
「こんなことができるんだ」という感覚そのものに夢中になっていた気がする。
そして、気づけば“アート”の方向へ向かっていた
ただ、今振り返ると、不思議に思うことがある。
あの時間には、本当に意味があったんだろうか、と。
もちろん、無駄だったとは思わない。
でも、当時の自分は、今みたいな方向に進むとは想像していなかった。
結果的に、僕は「アート」や「芸術」みたいな方向へ興味が向いていった。
その理由の一つは、使っていたソフトにあった気がする。
僕の使っていたソフトは、アニメーションに強いソフトではなかった。
だから、「動き」で見せるというより、一枚の静止画で何を表現できるかを考えるようになった。
もし最初から高度なアニメーションが簡単に作れる環境だったら、たぶん違う方向に行っていたかもしれない。
でも、静止画中心だったからこそ、
一枚の絵の中で何を表現するか
雰囲気や感情をどう出すか
世界観をどう作るか
みたいなことを考えるようになった。
それが結果的に、芸術とかアートの感覚につながっていったんだと思う。
過去は、今につながっている
当時は、ただ面白いからやっていただけだった。
将来どうなるかなんて考えていなかったし、意味があるかどうかもわからなかった。
でも、今こうして振り返ると、あの頃の試行錯誤が、確実に今の自分につながっている。
たぶん人生って、そういうものなのかもしれない。
その時は意味がわからなくても、
後になって、「あれが今につながっていたんだ」と気づくことがある。
3DCGを始めた頃の僕は、ただゲームを作りたかっただけだった。
でも結果的には、表現そのものを考える方向へ進んでいった。
そして、その感覚は今でもどこかで続いている気がする。