何か一つのことについて、とことん突き詰めるというのは、自然なことなんだろうか。
最近、そんなことを考えるようになった。
昔から、自分は一つのことに強くこだわる傾向があった気がする。
でも、それは特別なことではなくて、たぶん誰にでもあるものなんじゃないかとも思う。
例えば、人にはそれぞれ目標がある。
あるいは、「こうなりたい」という思想や理想みたいなものがある。
みんな何かしらを目指して生きているし、それ自体は普通のことだと思う。
ただ、人によって違うのは、「どれだけ深くそれにのめり込むか」なのかもしれない。
僕にとって、それは“自己啓発”だった
20代から30代くらいまで、僕はかなり自己啓発にこだわっていた。
といっても、「成功したい」とか「お金持ちになりたい」というよりは、自分自身を変えたいという感覚に近かった。
もっと自信を持てる人間になりたい。
もっと前向きな人間になりたい。
もっと強い人間になりたい。
そういうことをずっと考えていた気がする。
でも、自己啓発って少し不思議なものだと思う。
例えば資格みたいに、「これを達成した」と目に見える結果があるわけではない。
内面的なものを変えようとする行為だから、変化があったとしても形として見えにくい。
自信がついたとか、考え方が変わったとか、そういう感覚の話になる。
だからこそ、どこまで変われたのか、自分でもよくわからない。
結局、人は根本的には変われないのかもしれない
今振り返ると、僕は「自分を根本から変えたい」と思っていたんだと思う。
そして、そのためにかなり長い時間を使っていた。
仕事も、ある意味ではそういう方向性のものをやっていた。
でも、最終的に感じたのは、
人間は、根本的にはそんなに変わらないのかもしれない
ということだった。
もちろん、技術を身につけたり、仕事を覚えたりすることはできる。
努力によって能力が伸びることもある。
でも、その人の性格や考え方、話し方みたいな「核」の部分は、簡単には変わらない気がする。
頑張れば、行動は変えられる。
モチベーションを上げることもできる。
仕事をバリバリこなす人になることもできるかもしれない。
でも、それは“別人になる”ということではない。
根本にある性質みたいなものは、ずっと残り続ける。
少なくとも、僕自身の経験ではそうだった。
じゃあ、昔の努力には意味がなかったのか
そう考えると、ふと思うことがある。
昔の自分は、一体何をやっていたんだろう、と。
あれだけ時間をかけて、自分を変えようとしていたけれど、本当に意味はあったんだろうか。
もちろん、今さら考えても仕方ない。
過去は変えられない。
でも、ときどきそういう感覚になることはある。
ただ、完全に無意味だったとも思わない。
たぶん、人は「変わる」ことそのものを求めているというより、
「変わろうとする過程」に意味を感じているのかもしれない。
結果として根本は変わらなかったとしても、
その間に悩んだこと、考え続けたこと、行動したことは、確実に今の自分を作っている。
だから、人は変われないのかもしれないけれど、
それでも変わろうとすることには、意味があるのかもしれない。