精神障害を抱えている人の中には、アートの分野で特別な才能を発揮する人がいます。テレビなどで紹介されることもあり、そうした例を目にする機会もあります。もちろん、すべての人がそうではありません。しかし、ごく一部の人には、強い表現力や独特の感性を持っている場合があるのだと思います。
これはとても難しいテーマですが、個人的な経験からも少し考えることがあります。
私は精神障害があるわけではありません。ただ、一般の人のようにコミュニケーションが得意ではありません。そのため、会社に勤めていた頃は人間関係にとても苦労しました。
どうにか改善できないかと思い、カウンセリングや催眠療法に通ったこともあります。自分を変えたい、克服したいという気持ちが強かったからです。
しかし、会社という場所では、仕事の能力以上に人間関係が重視されることがあります。人間関係がうまく築けない人は、仕事ができたとしても評価されにくい。場合によっては「扱いづらい人」「使えない人」と見られてしまうこともあると感じました。
以前、ある女性の話を聞いたことがあります。その人は仕事が非常にできる人だったのですが、先輩との人間関係がうまくいかず、結果的に会社を辞めてしまったそうです。
その話を聞いたとき、改めて思いました。社会は、仕事の能力だけで成り立っているわけではないのだと。
私自身も、会社にいた頃はそれを痛感していました。真面目に仕事をしても評価されないこともあり、世の中は理不尽な部分もあるのだと感じていました。
ただコミュニケーションが得意ではないというだけで、「使えない人」のように扱われることもありました。そうした経験が積み重なり、会社に勤めること自体に抵抗を感じるようになっていきました。
振り返ると、こうした傾向は学生の頃からあまり変わっていません。努力すれば完全に直るという種類のものではないのかもしれない。だからこそ、「話すことが得意ではない自分」を受け入れるしかないのだと思うようになりました。
幸いなことに、フリーで仕事ができるようになってからは気持ちがとても楽になりました。ただ、会社員時代の記憶は、どうしても良い思い出ばかりではありません。時々思い出すこともあります。
そんな中で、絵を描くという行為を続けていると、一つ気づくことがあります。
もしかすると、自分のようなタイプの人間は、こういう表現の世界に向いているのかもしれないということです。
少し変わっている人、一般的なコミュニケーションが得意ではない人ほど、絵のような表現活動に向いている場合もあるのかもしれません。
考えてみると、自分は無意識のうちに絵を描く方向へ向かってきたのかもしれない。そう思うと、これまでの経験や選択にも、どこか納得できる部分があります。
人にはそれぞれ向いている場所があります。
もし社会の中で生きづらさを感じることがあったとしても、それは「価値がない」ということではなく、単に自分の力を発揮できる場所が違うだけなのかもしれません。
そして私にとって、その一つが「絵を描くこと」なのだと思います。
