2026年4月26日日曜日

「エロ」はなぜ排除されるのか

最近、令和に入って特に「性」や「エロ」に対する規制やコンプライアンスが強くなったと感じる。昭和にはもっと身近にあった猥雑さや人間くささが、今は排除されつつあるように見える。

もちろん、人権意識やハラスメントへの配慮が進んだこと自体は大切な変化だ。ただ一方で、「いやらしいことを考えてはいけない」という空気にまでなってしまうと、それは人間の本能まで否定することになりかねない。

そもそも性や欲望は、生き物にとって自然なものだ。恋愛や性愛は、生や繁殖にもつながる根源的なエネルギーでもある。

少子化との関係を単純には語れないが、欲望や親密さが生きづらくなっている社会と、出生率の低下は無関係ではない気もする。

興味深いのは、芸術の世界ではエロティシズムが今も表現として認められていることだ。裸や官能は、美や生命を表すものとして扱われてきた。

問題は「エロの是非」ではなく、それをどう社会が扱うかだと思う。排除するのではなく、人間の本能として成熟した形で向き合うことが必要なのではないか。

「エロ」は低俗なものではなく、生と自由に関わるテーマでもある。だからこそ、ただ消していいものではないと思う。

僕は見た目にこだわりすぎるのだろうか?

 最近、自分は思っていた以上に「見た目」にこだわる人間なんだと気づいた。 例えばゲームを買うとき、僕はまずグラフィックを見る。面白いかどうかは、実際に遊んでみないとわからない。それなら、最初に目に入る見た目を重視するのは自然なことだと思う。 以前はNintendo Switchで...