今の自分を形作っているものは、きっと子供の頃のささいな記憶に繋がっている。 ふとそんなことを思い出し、これまでの道のりを振り返ってみたくなりました。
「普通」になじめなかった小学校時代
僕は札幌の小学校に通っていました。当時、勉強はこれといって好きではなく、誇れるような得意科目もありませんでした。
ただ一つ、小学校高学年になった頃から「美術」だけは、なぜか他の人より上手く描けたのです。成績も美術だけはいつも良かった。 特別な理由は分かりません。ただ、絵を描いている時だけは、他のことにはない不思議な集中力があったのかもしれません。
当時の僕は、人と話すことがとても苦手な子供でした。 何を話せばいいのか分からない。言葉がうまく出てこない。 クラスの中でも、ほとんど誰とも話さないような、少し変わった子供だったと思います。
ウォーホルとの出会いと、空白の高校時代
進路を決める時、美術系の高校を検討したこともありました。体験入学にも行きましたが、結局は普通の高校に進学しました。今思えば「もったいなかったかな」という気持ちもありますが、当時は自分が何をしたいのか、自分でもよく分かっていなかったのです。
そんな僕が、初めて「美術」というものに心を動かされたのは、アンディ・ウォーホルの作品を見た時でした。 「あの缶の絵、いいな」 ウォーホルが誰かも知らないまま、理屈抜きにそう感じました。でも、その時はまだ「世の中には良い絵があるんだな」と思う程度で、深く学ぼうとまでは思いませんでした。
30代で出会った「3DCG」という輝き
人生の転機が訪れたのは、30代になってからです。 当時、3DCGはまさに黎明期。多くの人が新しい表現に熱狂し、3Dという技術がキラキラと輝いて見えた時代でした。
僕も夢中で3Dの絵を描き、自分のWebサイトに次々とアップしていきました。
描いた絵が切っ掛けで、制作会社でWebデザインの仕事をすることになりました。「Photoshopが少し使える」というだけで飛び込んだ世界でしたが、やってみるとWebデザインは意外なほど面白く、自分に合っていることに気づきました。
自分の「作りたい物」が作れる喜び
それからは仕事の傍ら、3Dグラフィックで様々な作品を作り続けました。 自分の中にある「作りたい物」が形になっていく感覚。それは、言葉で人とコミュニケーションをとるのが苦手だった僕が、ようやく見つけた「自分だけの表現言語」だったのかもしれません。
これからも、自分にしか作れない世界を形にしていきたい。 これまでの道のりを振り返り、改めてそう強く感じています。